笹野
3人が出会ったのは「オンシアター自由劇場」。一番最初にいたのはB作だよね。
佐藤
そう。入所試験には落ちたんだけど、調べたら、高校の先輩に創立メンバーの人がいて、何でもやるからと頼んで入れてもらったんですよ。で、最初は裏方をしてたんだけど、いつのまにか役者で出るようになって、そこに笹野がスタッフの手伝いで来た。これがうるさい手伝いで、「もっとこうやったほうがウケるよ」とか、人の芝居に何だかんだ口を出すんだよね。
笹野
言うね(笑)。で、その後、俺も役者をやるようになって、草月会館で斎藤憐さんが書いた芝居に出させてもらったときに……。
笹野
よく覚えてるね。そのお芝居のときに、柄本がスタッフでいて、「なんか変な大道具がいる」っていうんで吉田日出子さんと一緒に見に行ったら。
佐藤
眉毛剃ってぼーっと重たいものを運んでるのがえもっちゃんがいたっていう。
笹野
で、聞いたら、「劇団マールイ」で芝居やってると。「じゃあ私たちと一緒にやろうって誘っといで」って吉田さんに言われたんだけど、「私は言えないですよ」「じゃあ私が言うから電話番号聞いてきて」ということになって、僕が電話番号を聞き、吉田さんが電話をかけて、えもっちゃんが「自由劇場」に入ることになったんです。
佐藤
地方公演をずっと一緒に回ったのは、あれは別の芝居だった?
柄本
あれは別の斎藤憐さんのプロデュース公演。俺が自由劇場に入って、B作はもう「東京ヴォードヴィルショー」を旗揚げしてたんだけど、その芝居に呼ばれたんだよ。
笹野
俺は入れてくれなかったんだよね。斎藤憐さんに「お前はいらない」って言われちゃったの。
佐藤
お前は昔から協調性がなかったからな。お酒も飲まないし。
佐藤
稽古終わったあと、みんなでお酒飲むのを楽しみに生きてた時代だよな。でも、笹野は飲まないので、ひとりでオシャレなオートバイに乗ってブーンと帰ってた。
笹野
あれは近所の自転車屋さんで、事故車を修理したのを安く譲ってもらったんだよ。
佐藤
俺たちは都バスで通ってたけど、お前はオートバイに乗ってさ。
笹野
でも、時々お酒の場には行ってました。だって、「いつそういう段取りになったの?」って聞いたら、「昨日酒飲んでるときに」って言うから、酒の場で芝居が決まっちゃうんだ、たまには様子見に行かないとと思って。一度新宿のゴールデン街について行ったことあるけど、みんなどの店でもお金を払わないんだよな。入ると先輩とか知り合いとかがいて、「おー飲んでいけ」とか言われて。
柄本
俺、B作とはゴールデン街が初対面で、その日泊まりに行ったんだよ。
佐藤
あの部屋には当時まだ学生だった坂本龍一さんも泊まりに来たからね。
柄本
でも、俺、「自由劇場」に入ったものの、即興で稽古するのについていけなくて。そういうのがわからなかったから。
佐藤
俺はあれが楽しかったな。誰よりも面白いのを即興でやると、若き女優たちにモテるんだよ(笑)。そしてお酒をごちそうになるわけだ。
笹野
実際、B作の即興が面白いんだよ。発想が自由でね。変な歩き方をして出てきて、どうやら下から風が出てるのをゴォーっとやってみせて、それがウケてウケて。
佐藤
あの頃は度胸があったね。何もないから度胸でやらなきゃしょうがなかったんだろうな。金もなきゃ名前もないみたいな感じで。何しろ試験に落ちてるから頑張らなきゃしょうがないんだよ(笑)。
笹野
とにかくお金がなかった。みんなないから恥ずかしくないんだよね。えもっちゃんともずいぶん千円の貸し借りを繰り返したよね。最終的にどっちが借りてるか、未だにわからない(笑)。
柄本
「自由劇場」では結局、3人で一緒に芝居をしたことはないんです。僕が「自由劇場」に入る前はB作と笹野がやっていて、僕が入ってからはB作はいないから笹野とやって、僕が「自由劇場」を辞めて「東京乾電池」を作ってからは、B作とやってるんですけど。
佐藤
えもっちゃんは、俺が下北沢で芝居をやってると、いつのまにか観に来てたりするんですよ。下北沢にお住まいだからね、汚いサンダル履いてひゅっと来るんだよ、劇場に。
佐藤
でも、いきなり当日券で来るんですよ。なんで席が空いてると思ってるんだよ。
佐藤
あ、ありがとうございます(笑)。笹野は最近歌舞伎だもんな。
柄本
そう、歌舞伎に出ていらっしゃるからね。よっ淡路屋!
笹野
入る。歌舞伎座以外でやるときは、お客さんも面白がってふざけて言ってるけど。
佐藤
今稽古してても、すぐに歌舞伎みたいな芝居をやるじゃない。俺しかできねぇだろみたいに。
笹野
一応、伝統芸能と大衆芸能をつなげなきゃいけない役目があるから。
笹野
でも、勘三郎さんが言ってたよ。柄本さんだって歌舞伎ができる人だって。
柄本
「裏」ですよ。しかも、間借りしてたから自分の地所じゃない。薄っすらと記憶にあるけどね。東劇ビルの下の今高速道路になっているところが川でしたね。
笹野
そうそう。歌舞伎座まで船乗り込みができたそうです。そういえば、初めてえもっちゃんと会ったときに「国どこ?」って聞いたら「築地のほうで生まれた」って答えてた覚えがあるんだけど、じゃあ銀座だったんだね。
佐藤
うちなんか飯坂温泉だもんな。「飯坂温泉、寄らんしょ、来らんしょ、回らんしょ。ササッカサッカサッカ飯坂へ〜♪」てなもんだから、木挽町と大違いだよ。
笹野
今や観光バスが止まるからね。「ここが佐藤B作さんのご実家です」って。
笹野
私は淡路島の田舎のほうです。そこから大学進学で上京したんですけど、大学は家への言い訳で、大学に行ったら「俳優座養成所」に入ろうと思ってました。ところが、養成所がなくなって、大学になってたんだよね。
佐藤
俺は早稲田大学に入って、本当は商社マンになりたかったんだよ。だけど大学で演劇をやって夢中になって、授業に出なかったらどんどん成績が悪くなっちゃって。これじゃあもう就職できないなと思って俳優になろうと思ったの。俳優はもっと大変だっていうのがわかってなかったんだよな。それで、家に電話して俳優になりたい、桐朋の試験を受けたいって言ったけど、うちにはそんなお金はない、勘当だって言われて。それから月3万円の仕送りがピタッと来なくなって、それで俺は強くなったんだよ。
笹野
でも、よく言う勇気があったね。俺、淡路島の田舎で俳優になりたいなんて言えなかったな。唯一言った兄貴にも、押さえつけられて「まともなことを考えろ」とか言われて。だから、このふたりが最初から「役者だよ」って言ってるのを聞いて、東京ってすごいなと思ったんだよ。その顔で役者って言っていいんだって(笑)。えもっちゃんは……。
柄本
僕は高校を出てちっちゃい商社に入ったんですよ。
佐藤
へー商社マンやってたのか。俺がなりたかった商社マン。
柄本
商社マンったって、本当にちっちゃいところで。
柄本
もともと映画を観るのは好きだったんですけど、あるとき先輩に連れられて早稲田小劇場の『どん底における民俗学的分析』っていう芝居を観たんですよ。ゴーリキーの『どん底』をいろいろごちゃごちゃにしてよくわからないアングラ劇で、それが面白くてね。だから、俳優になりたいというよりも、サラリーマンなんかになっちゃったから、そういうアナーキーなものへの憧れだったんでしょうね。で、当時は全共闘運動とかベトナム戦争に対する反戦運動とかが起こっていた時代でしたからね。その芝居を観に行ったときも、ほかのみんなが長髪で汚い格好をしている中で、自分だけネクタイして髪の毛もきれいにしてて、そういう自分が恥ずかしくて落ち込んでね。それで、芝居を観たのが大晦日くらいだったんですけど、正月の5日くらいに会社が始まって、偉い人の挨拶が聞こえてきたときに、辞めようと思って。課長だか係長だかのところに行って、「すみません。辞めさせていただきたいんですけど」って言ったんです。
柄本
だから、何かになりたいっていうのは、青春の誤解でしょう。それがたまたまこうやって続いているのは運がいいけど。
笹野
あの時代は、若いヤツの不満が溜まっていて、エネルギーがグワーッと盛り上がって。アングラ演劇なんかも、ものすごい勢いがあって、どこでも前衛的で観たことのないものをやっていて、カッコよく見えましたよ。
笹野
ね。みんなキラキラしてるんだもん。三大劇団と言われる、「文学座」「俳優座」「民芸」も観たけど、やっぱりアングラのほうがカッコよく見えたんだよね。
佐藤
「状況劇場」「早稲田小劇場」「自由劇場」、この3つだったね。
佐藤
そういうアングラの3人が、明治座で芝居をやるんだから、おかしなもんだね。
笹野
長いこと生きてるとこんなことになっちゃうんだと思ってね。今、稽古場にいても、僕はとても幸福感に満ちているんですよ。B作に散々ツッコまれていろんなことを言われるんですけど、それさえも、あー懐かしいと幸せで。とても居心地がいいですね。
佐藤
笹野は能天気なんだよな。俺なんか、明治座でやる、大変だ、どうしたらいいんだとかって思う性格だけど。
笹野
でも、明治座で公演をするっていうときに俺たちに声をかけるなんて、えもっちゃんの英断だよな。もっとほかにいただろ。
柄本
いやいやいや。明治座に出させていただくという晴れがましいことを、こういう仲間とやりたいと思ったっていうことですかね。そうすると、いろいろな、生きてきたことの申し訳が立つかなという(笑)。
佐藤
でも、普通だと、明治座でやりませんかと言われたら、明治座の看板に合いそうな、お客さんをいっぱい呼べるような役者さんをキャスティングすると思うんだけど、俺たちみたいなのを呼ぶのが、柄本明のすごさというか、面白いところですよね。なんか、明治座に喧嘩売ってるよね。
佐藤
コケたら大変だけど(笑)、どうせやるならと大穴狙いでいくところがすごいよね。笹野 ただ、僕は、この仲間でやれば、ラクに簡単にできあがっちゃうように思ってたんだけど、どんな芝居でもやっぱり生み出すのは大変だね。それでも、やっぱり芝居作りってそうだよな、ラクにできたのなんて一つももないな、きっとじゃないとお客さんに喜んでもらえないんだよなと思って、なるべく明るく考えるようにしてますけどね。
柄本
例えばこう3人がいる。いれば何かが生まれちゃうしね。探していくんでしょうね。そして、どこまでいったって別に答えというものはないわけで。でも、大雑把な言い方ですけど、楽しくできればいいですね。それが一番だと思います。
柄本
そうね。楽しいの中には苦しいもあるし。稽古場では、やっぱり苦しいことのほうが多いと思いますけど。
笹野
そうだね。だからこんなに長いことやってるんだもんね。
柄本
ま、どうしたって何か闘うことになりますからね。それは日常だって一緒だと思いますけど。それとやっぱり、人間っていうのは残念ながら欲望があって、生きてるっていうことは欲望が肥大化していくばかりでね。たぶん、死ぬときに自分の魂がスーッと抜けていって自分を俯瞰して見たときに、「えっ俺ってこんなものだったのか」と死んでいくんじゃないかなとう気がするんだけど(笑)。とにかく生きてるっていうことは、どうしたってもっともっともっとと思っちゃって満足しないんだから、イヤになっちゃいますね。でも、ま、皆さんとやって、ラサール(石井)氏が演出してくれて、いい稽古場になってるんじゃないかなと思います。
笹野
ラサールさんは大変でしょう。これだけの人を演出していくんだから。
柄本
見川鯛山先生が書いている原作が、もちろんこの台本もそうですけど、みんなダメというか何というかね、ろくでもない、そういう人たちでね。僕が演じる先生も、お医者さんだからといって大したことはない。笹野の駐在さんもB作のホテルの主人も。だけど、ダメなことが別にダメではないんじゃないかみたいなね、そんな話ですからね。
笹野
ダメって言われるほどじゃないと思うけど(笑)、僕が演じる茶畠さんは都会で働けなくて自分の生まれたところに戻ってきて駐在をやっていて、そうしかできなかったんだろうなっていう節がありますね。それで自然の中で、それを愛でるということでもなく、生まれたときからそこに普通にあった自然とともに生きている。そんな人たちの話だから、僕は愛すべき人生だと思いますね。そんなふうにして生きられたらいいなと思いますけど。
佐藤
俺の役はもとは市役所職員だったみたいで、ホテルの婿養子に入った。たぶん、市役所時代は真面目で、こいつに任せれば大丈夫と思えるいいところがあったんでしょうね。ところが、社長なんかになっちゃうとダメになっちゃう人間っていますけど、そういうタイプで。また女にだらしないないしね。よく俺を知って書いてるなと思って(笑)。
笹野
そう。芝居って、その人間のバックグラウンドが透けて見えるじゃない。俳優ってどうしても私生活の影が見えて、役がそれとかぶっていたりする。この芝居の3人の関係性なんかもそうでね。だから、そんなことも後ろに感じつつ、楽しんでもらえればいいなと思いますよね。あと、花總(まり)さんがすごい。このアクの強い3人によくついてきてらして、見事です。さらーっとおできになるから、大したものだと思ってびっくりしてますよ。
佐藤
何しろ、宝塚は並の競争率じゃないんだから。入るまでが大変なんだから。「自由劇場」の試験に落ちて入った俺とは違う。
笹野
落ちたのに知らん顔して来て、同期の人たちの発表会で主役をやっているんだからね。そんなヤツいる?
佐藤
最終的に、演技力と人間的魅力があったんだろうね(笑)。
笹野
誰も言ってくれないから自分で言ったね(笑)。
柄本
でも、主役は実力で勝ち取ったんでしょ。偉いですよ。今一緒にやってても、やっぱりいいですよ、ふたりとも。何がいいかっていうのは、観て感じてもらえればと思うけど。
佐藤
えもっちゃんは存在が大きいやな。舞台に出てきたときの。身体も俺たちより大きいんだけど、居方みたいなものが大きい感じがする。で、芝居はさりげないんだけどドキッとするようなことをなさるしね。で、笹野はこれはもう本当にやっつけ。やっつけが上手いよね(笑)。何も予習・復習してない。ふふーんみたいな感じでやるのが得意だよな。
笹野
三國連太郎さんにも同じようなこと言われた(笑)。「君は何もしていない。すっと来てすっとやってすっと帰る。それが僕にはできないんですよ」って。
柄本
いや、何もしてなくはないですよ。ものすごくしてますよ。
佐藤
でも何もしてないように見える。だから、この仕事に一番ハマってるのはコイツかもしれない。
笹野
だって俺は、関敬六さんを見てるからね。そういうふうな姿勢が一番いいんじゃないかと思ってるんだけど。B作さんは、でも、若いときに見た色気が、名前はつけられないような芝居の色気が、未だにあるよ。
笹野
それをまずうれしく思いますね。変わらないんだと思って。
笹野
そうそう(笑)。でも、そういう色気じゃないんだ。演技がね、色っぽいとしか言えない、不思議な変わった芝居で、それが若いときから魅力的だったんだけど。
柄本
役者はやっぱり色気がないと。自分のことはわからないけど、ふたりとも色っぽいですよ。
笹野
しかも品のある色気。そう、えもっちゃんもB作もまず品があるのがとってもいい。
佐藤
あなたもありますよ。毛はないけど品はあるよ(笑)。
柄本
品があるだけでいいのに、なんで余計なことをつけるんだよ(笑)。
佐藤
褒めたんだよ。毛があったら並の役者だよ(笑)。
笹野
いやほんと、今やこれが商売道具になっちゃったからさ。
佐藤
時代劇はそのままいけちゃうんでしょ。羽二重いらないんでしょ。
佐藤
だから本当に、君は俳優になるために生まれてきたような人だよ。
佐藤
そんなことない。心から褒めてますよ、この世界にぴったり!
笹野
だけど、前に紀伊国屋演劇賞の受賞式に出たときに、B作も招待されて来てて、「お前なんか消えると思ってたけどしぶとく役者やってるな」って言われたのを覚えてるよ。
佐藤
いや本当にしぶといよね(笑)。みんなそうだけど。大したもんだよ。
佐藤
この「自由劇場」の昔の仲間、そして「自由劇場」時代からの昔の小劇場の仲間が大勢集まって演じる『本日も休診』。面白くて泣けて、明日からまた仕事に頑張るぞと希望が持てるような演技になると思いますので、ぜひとも明治座までいらしてください。
笹野
明治座という大きな立派な劇場に、この晴れ舞台に、アンダーグラウンドから、小劇場から、泥んこのようなヤツらが出ます。コロナが落ち着いている今、怖いもの見たさで、お化け屋敷に行くような気持ちで、明治座へいらっしゃいませんか。きっと面白いですよ。大笑いしてお帰りになることと思います。ぜひ明治座へお運びくださいますように。
柄本
とにかく、明治座さんという天下の大劇場が、こういう座組で企画してくださってやらせていただくことを大変光栄に思っています。一生懸命やるので観ていただければ幸いでございます。よろしくお願いいたします。