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作品紹介

11月1日(金)~11月25日(月)

錦秋の浜町・明治座でかぶく!

作品紹介

今回は明治座にとって大変縁の深い作品が並びます。
昼の部、「鳴神」は、二代目市川左團次が、明治四十三年の明治座公演で復活をさせた後、盛んに上演されるようになった作品です。また「瞼の母」も、昭和六年に明治座で十三代目守田勘弥の忠太郎で初演された後、舞台、テレビ、映画、歌謡曲など多くの作品にリメークされました。
夜の部に上演致します「毛抜」も、長らく上演が途絶えていた演目のひとつでしたが、明治四十二年、岡鬼太郎の脚本を用い、二世市川左團次が明治座で復活上演を果たしました。
明治座ならではの演目でお届けする、歌舞伎の魅力が凝縮された「明治座 十一月花形歌舞伎」。
どうぞご期待ください。

昼の部

『歌舞伎十八番の内 鳴神』

平安時代、変成男子の行法で陽成天皇を皇子として誕生させた鳴神上人(右近)は、
朝廷から戒壇建立の約束を得ていた。
だが、朝廷が約束を果たさなかったため、怒った鳴神は、
雨の神の龍神を京都北山の岩屋の滝壺に封じ込め、
自らも岩屋に籠もってしまった。
それ以来、雨が降らず、民が旱魃(かんばつ)に苦しむので、
見かねた朝廷は、雲の絶間姫(笑也)という絶世の美女を鳴神のもとへ送り込む。

亡夫の供養のためにやって来たという姫に対して、
最初は警戒する鳴神だが、次第に姫の色気に迷い、
ついには祝言の盃を交わしてしまう。
鳴神から秘法を聞き出した姫は、鳴神が酔い潰れている間に、
岩屋の注連縄を切ると、龍神は逃がれ、雨が降る。
騙されたことを知った鳴神は、怒り狂って姫の後を追いかけるのだった。

【みどころ】
歌舞伎十八番のひとつ『鳴神』は、寛保二年(1742)、大坂の佐渡嶋長五郎座で初演された『雷神不動北山櫻』の四段目に当たります。高僧が美女の色香に迷い堕落するという物語で、高僧と美女とのやりとりが眼目の作品です。前半では、姫が鳴神を誘惑する様子を仕方話で表現しますが、品格の中にも艶めかしい色香が必要で、女方のしどころとなります。また、姫の胸元に手を入れた鳴神が破戒する場は、エロティシズムと共にユーモアにも溢れます。
その後、欺かれた鳴神が怒り狂う後半では、豪快な立廻り、火焔の衣裳へのぶっ返り、柱巻の見得や四方祈りの見得、飛び六方など数々の荒事芸が見どころとなります。前半は古風な台詞劇、後半は典型的な荒事で、右近と笑也の息のあったコンビによる一幕です。

『瞼の母』

江戸時代の末。
番場の忠太郎(獅童)と弟分の半次郎(松也)は、敵対する博徒から追われる身。
ある時、忠太郎は武州金町の半次郎の家を訪ねるが、
対応に出た半次郎の母おむら(右之助)妹おぬい(新悟)が、
半次郎はいないと言い張る。
息子のことを心配する母の姿に心打たれた忠太郎は、敵方から半次郎を庇うと、
堅気になるようにと言って去る。
幼少時に母と生き別れ、父とも死別した忠太郎は、
母への思慕の念を強く抱いていて、母捜しのために江戸へ向かうのだった。

一年半後、母を捜す忠太郎は、料亭水熊の女将おはま(秀太郎)のもとを訪ねる。
おはまは忠太郎が息子であると確信するが、
今ではお登世(春猿)という娘もいるため冷たく応対する。
絶望した忠太郎が立ち去った後、
ならず者の金五郎(猿弥)がその後を追う。
一方、兄と気づいたお登世は母を説得して、忠太郎の後を追いかける。
荒川堤で忠太郎の名を呼ぶ母と妹。
だが、忠太郎は物陰に隠れ、瞼に映る母の面影を抱きながら、
どこかへ旅立って行くのであった。

【みどころ】
『瞼の母』は、昭和六年(1931)に明治座で初演されました。生き別れた母を捜すやくざの忠太郎の侠気と孤独を巧みに表現した作品で、歌舞伎だけでなく、新派や新国劇、浪曲や講談でも上演され、さらには映画化もされた長谷川伸の代表作です。前半では、肉親の情を知らない忠太郎が半次郎の家族の情に触れ、母を求めて旅立つ姿がドラマティックに描かれます。後半では、母と再会した忠太郎がその想いを絶って旅立つ姿が悲哀を持って描かれます。すれ違う親子の情が涙を誘う味わい深い作品をご覧ください。

『供奴』

江戸の吉原仲之町。
ここへ提灯を提げた奴の松平(松也)が勢いよく駆けて来る。
廓に出かけた主人の供をしていた松平だが、
主人とはぐれてしまったため、慌ててその後を追ってきたのだ。
松平は主人を探しながらも、主人の粋な様子を真似ていく。
座敷遊びの拳酒の様子、さらには毛槍を担ぐ姿を見せた後、
再び主人を探して駆け出して行くのであった。

【みどころ】
『供奴』は、文政十一年(1828)に江戸中村座で初演された七変化舞踊「拙筆力七以呂波(にじりがきななついろは)」の中のひとつです。軽快な足拍子を主体とした賑やかな長唄舞踊です。
最初の見どころは、奴の花道の出で、祇園守の紋のついた大きな提灯を提げた奴が駆けて来て、七三で止まり「してこいな」という台詞を粋に言います。その後、花道でリズミカルに踊った後、「おんらが旦那はな」からは本舞台へ出て、主人の自慢をしながら、その姿を真似て六方振を見せます。
「見染め見染めて」からは、酒を飲む様子や毛槍を担いで歩く様子を踊り、足拍子となります。立三味線と鼓に合わせた足拍子、さらには横ギバから立ち上がりを見せる技は、この舞踊の一番の見どころです。終始、テンポ良く華やかな舞踊を、松也が勤めるのも楽しみな作品です。
※横ギバ・・・投げられ、また蹴られて飛び上がり、足を開いて尻で落ちる動作

 『瞼の母』番場の忠太郎/中村 獅童

 『鳴神』雲の絶間姫/市川 笑也

 『供奴』奴松平/尾上 松也

夜の部

『歌舞伎十八番の内 毛抜』

平安時代、小野春道の館では、家宝の短冊を紛失したため御家騒動が起こり、
家老の秦民部(松也)の弟秀太郎(春猿)と、
対立する執権の八剣玄蕃(猿弥)息子数馬(弘太郎)とが刃を交えている。
腰元巻絹(笑三郎)がこれを制していると、当主の小野春道(門之助)と息子の春風(笑也)が現れ、
騒ぎを納めると、春道は息子に短冊詮議を命じるのだった。
そこへ文屋豊秀の使者の粂寺弾正(獅童)が来訪し、
豊秀と許嫁の息女錦の前(新悟)の様子を尋ねる。
実は、錦の前は髪の毛が逆立つという病のため、輿入れが延期になっているが、
これを見た弾正は姫の病の原因の謎解きを始める。
毛抜が宙に浮く不思議な現象から、見事、姫の奇病の謎解きをした弾正は、
短冊も探しあて、御家横領を企む悪臣も斬り捨てると、
颯爽と帰っていくのであった。

【みどころ】
歌舞伎十八番のひとつ『毛抜』は、寛保二年(1742)、大坂の佐渡嶋長五郎座で初演された『雷神不動北山櫻』の三段目に当たります。小野家の御家騒動を背景に、粂寺弾正が謎解きしながら、悪事を曝いていく推理小説のような一幕。弾正の鷹揚な役柄が魅力的で、豪傑な荒事風でありながらも、難題を解決する捌き役、さらには若衆や腰元を口説いては振られるという愛嬌も見せます。
見どころは、謎説きの過程を荒事の五つの見得を使って見せていく場。また、毛抜や小柄はデフォルメされた小道具を用いますが、このような遊戯性も面白みに溢れます。古風な作風ながらも、色彩美と様式美に富み、理屈抜きに誰もが楽しめる作品です。

『連獅子』

文殊菩薩の浄土と言われる清涼山に架かる石橋にやって来たのは、
狂言師の右近(右近)左近(弘太郎)
手獅子を携えたふたりは、親獅子が仔獅子を千尋の谷に突き落とし、
這い上がってきた子だけを育てるという故事を踊ってみせる。
狂言師たちは、谷底へ落とした仔獅子を見守る親獅子の様子や、
川面に映る親獅子の姿を見て谷を駆け登る仔獅子の勇ましい様子を踊ると、
胡蝶に誘われるようにどこかへ消えていく。

その後、宗派が異なるふたりの旅僧が現れ、宗論を始めるが、
山風に驚いたふたりは逃げ去っていく。
やがて、親子の獅子の精が荘厳と現れる。
獅子の精は勇ましく毛を振り、獅子の狂いを見せると、その座に直るのだった。

【みどころ】
能の『石橋』を題材にした『連獅子』は、河竹黙阿弥の作詞、三世杵屋正治郎の作曲で、明治五年(1872)に東京村山座で初演された歌舞伎舞踊です。その後、明治三十四年(1901)に東京座において初世猿之助(二世段四郎)と四世染五郎(七世幸四郎)によって上演された際、間狂言に「宗論」も加えられ、現行の振付として定着しています。
前シテの見どころは、獅子の子落としの場で、子を心配する親心、親を慕う子の健気さ、谷を駆け上る子の逞しさなど、親子の情愛を緩急の妙を極めた舞踊で表現します。「宗論」では、宗派の異なるふたりの僧侶が言い争う内に念仏と題目を取り違えるという可笑しみを見せます。続く、後シテでは、白毛をつけた親獅子の精と赤毛をつけた仔獅子の精が勇敢な獅子の狂いを見せ、この作品の最大の眼目です。「髪洗い」や「巴」、「菖蒲叩き」など、数々の華麗な毛振りを見せていきます。右近と弘太郎による澤瀉屋ゆかりの長唄舞踊をお楽しみください。

『権三と助十』

大岡越前守が江戸の町奉行をする享保時代。神田橋本町の裏長屋では、
年に一度の井戸替えの日とあり、
駕籠かき権三(獅童)の女房おかん(笑也)が茶を振る舞っている。
近所の助十(松也)助八(弘太郎)の兄弟らが集っているが、
権三と助十が喧嘩を始め、大騒動。
家主の六郎兵衛(右近)が騒ぎを納めるところ、
小間物屋の彦三郎(笑三郎)が訪れる。
実は、昨年、この長屋に住んでいた
彦三郎の父彦兵衛(寿猿)が人殺しの罪により捕らえられ、
牢死したのだが、父の無実を信じる彦三郎は、
その汚名を晴らしたいとやって来たのだ。

この話を聞いた権三と助十は、
事件の夜、刃物を持った左官屋の勘太郎(猿弥)
目撃していたことを打ち明ける。
これを聞いた六郎兵衛の一計により、勘太郎は取り調べを受けるが、
その後、放免された勘太郎が長屋に悪態をつきにやって来たので、
権三たちと喧嘩になる。そこへ役人の石子伴作(門之助)が現れ・・・。

【みどころ】
岡本綺堂の作による『権三と助十』は、大正十五(1926)年に歌舞伎座で初演された新歌舞伎です。この作品は、大岡政談の「小間物屋彦兵衛」の話を題材にしていますが、劇中、大岡越前守は登場せず、長屋を舞台にして駕籠かきの権三と助十を主役にしたところが作者の巧みな劇構造と言えます。
江戸市井の人々の人情と気っ風の良さを賑やかに描いた純然たる世話物の世界を清新な顔ぶれでお見せします。

 『毛抜』粂寺弾正/中村 獅童

 『連獅子』狂言師右近後に親獅子の精/市川 右近

※澤瀉十種の内「瀉」のつくりは、ただしくは”わかんむり”です。