みどころ
明治時代、日本国内ばかりでなく海外の舞台でも大輪の華を咲かせた、日本初の女優、川上貞奴。芳町の芸妓置屋「浜田屋」の養女として育ち、川上音二郎との出逢いから女優に転身…、そして大正6年、彼女が引退興行を行ったのは他ならぬ明治座でした。
石川さゆり、明治座、100年を迎える玄冶店 濱田家それぞれの周年が重なる記念すべき年に、縁の深い明治座で川上貞奴のドラマチックな人生が、作家・作詞家なかにし礼の脚本・音楽監修により現代に蘇ります。
名曲「風の盆恋歌」の作詞家であり、名作「長崎ぶらぶら節」の原作者でもある、なかにし礼と石川さゆりのコンビが生み出す新たな世界をどうぞご期待下さい。
また、第二部「石川さゆりオンステージ」では名曲の数々を周年に相応しい
構成にてたっぷりお贈りします。どうぞご期待ください!
日本第一号の女優、川上貞奴(かわかみさだやっこ)をご存知ですか?
明治時代に日本国内ばかりではなく海外の舞台でも大輪の華を咲かせた、日本初の女優です。
明治4年、東京日本橋で生まれ、日本橋葭町の芸妓置屋「浜田屋」の芸者となります。贔屓筋には、時の総理 伊藤博文、西園寺公望をはじめ、名だたる元勳がおり、名実ともに日本一の芸妓でした。
その後、壮士芝居(自由党の壮士や青年知識階級の書生が、その思想を広めるために始めた演劇)で一世を風靡していた川上音二郎の芝居を観た貞奴は、川上のエネルギッシュな魅力に惚れて一座に入り、その妻となりました。
ふたりの破天荒で風変わりな魂はぶつかり合い、求め合い、
疾風怒濤のごとく世界を翔(かけ)めぐります。
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貞奴は、川上音二郎一座のアメリカ興行への同行中に、亡くなった女方の代役として舞台にたちます。
「日本第一号の女優」の誕生です。
そして、エキゾチックな日本舞踊と美貌は、欧米中で空前の人気を得ました。
ドビュッシーやジッド、ピカソ等による絶賛。更には、パリの王侯貴族に招かれて、勲章も授与されています。
通称「マダム貞奴」と呼ばれ、その名前は一躍有名になりました。
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日本に戻った貞奴は、初舞台を明治座でふみます。
シェークスピアの「オセロ」を「正劇」と銘打ち、舞台を日本に置き換えて演じ、人気を博しました。
更にその翌年には、「ヴェニスの商人」を上演しています。
当時としては非常に斬新だった、明治座でのシェークスピアの上演は話題を呼び、日本でもその人気は、音二郎の妻という枠を超えて行ったのです。
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明治44年に音二郎が他界します。
貞奴は、その遺志を継いで女優活動を続けましたが、ほどなくして引退を決意。
「アイダ」と「雲のわかれ路」という演目で、大々的な引退興行を明治座で行いました。
「明治座」-。
芸者として活躍した葭町の隣町に位置し、自らの日本での初舞台となった劇場である「明治座」は、貞奴にとって、特別な思い入れがあったのでしょう。
また、貞奴が芸者として活躍した芸妓置屋「浜田屋」は、後に、親戚であった現当主の先々代が、その屋号を譲り受けて、現在も、明治座の近くにある料亭「濱田家」として経営を続けております。
スペシャル
3月25日「石川さゆり40th記念日」とは石川さゆりのデビューの日。第一部の芝居は、通常通りですが、第二部石川さゆりオンステージの「歌日和」を特別バージョンとして上演いたします。
内容は乞うご期待!!