いよいよ稽古も佳境を迎え、舞台初日が迫る6月24日
主演の大地真央、浜中文一、中島亜梨沙、そして潤色・演出を務める原田諒が、岩亀楼ゆかりの地「岩亀稲荷」を参拝しました。
遡ること嘉永6年(1853年)ペリーが浦賀に来航し、翌年に横浜が開港。時の幕府によって外国人居留地近くの太田屋新田に大きな遊郭が作られます。この遊郭のなかで実在した最大の遊郭こそ、本公演の舞台となった「岩亀楼」です。
横浜岩亀楼上(横浜市中央図書館所蔵)
岩亀楼のあった場所は、現在横浜スタジアムになっています。
スタジアム横にある彼我庭園(ひがていえん)はかつて岩亀楼の日本庭園があった場所です。
そこにひっそりと置かれている石灯籠。もとは横浜市南区三春台(みはるだい)の妙音寺にあったもので後に横浜市に寄贈されました。
石灯籠の柱に注目すると「岩亀楼」の文字をうっすらと見ることができます。
岩亀楼は火災や暴風雨の影響で、幾度か場所を移しています。
明治5年(1872年)、高島町に移転すると、近くに遊女たちが病を治療する寮が作られます。その寮の付近には、岩亀楼ができる以前から地域住民に信仰されていた稲荷がありました。故郷を離れて必死に働く遊女たちは、一日でも早く病を治したいとその稲荷に祈ったとされ、それがいつしか岩亀稲荷と呼ばれるようになりました。
おじいさんの代からお稲荷様のお世話をしていて、岩亀稲荷の真横に店を構えるオーダーメードシャツ店「松本屋」のご主人によると、お稲荷様は明治期以来、稲荷の周囲に店を構える足袋屋・花屋・和菓子屋などの5軒の店で作られた稲荷講によって、ずっと守られてきたそうです。
現在は、毎月25日に妙音寺の住職による読経が、毎年5月25日には奉納祭が行われています。さらに、今では女性が自らの病の治癒を願うパワースポットとしても人気があります。
岩亀稲荷を訪れた4人の感想・公演への意気込みをご覧ください。
(右の画像をクリックするとYouTubeへリンクします)