こうして昭和25年(1950)12月に戦後の明治座が再建開場します。こけら落しは尾上菊五郎劇団でした。
しかしながら、昭和32年(1957)4月、またしても明治座は出火で焼失します。このとき、力道山、東富士らのプロレスラーによる必死の消火作業もあって、周辺への延焼を免れました。これが5度目の火災で、最後の焼失となります。ただちに建設委員会が組織され、翌年3月、昭和3年に開場した当時の基礎を残したまま再建されました。
再開場後の明治座は活気にあふれ、歌舞伎は菊五郎劇団、吉右衛門劇団系の幸四郎(白鸚)、勘三郎、歌右衛門による歌舞伎がたびたび上演され、また花柳章太郎、水谷八重子の新派、辰巳柳太郎、島田正吾の新国劇が定期的に公演を持っていました。
新国劇の「松川事件」「井伊大老」や新派の「京舞」「太夫(こったい)さん」など、初演は皆、明治座の舞台となっています。