明治26年(1893)、明治の劇聖のひとりと称せられる初代市川左團次が再建に乗り出します。
明治の三大名優と謳われる團菊左の三頭目のうち九代目團十郎は河原崎座、五代目菊五郎は市村座の座元であったため、太夫元(座主)になりたいという念願が実ったのが、劇場の新築でした。
この洋風の劇場は明治座と改称され、11月1日のこけら落しは大入り満員で開場しました。
そして左團次は、切符売場の設置、電話予約の受付、座席番号付の切符販売など、それまでになかった数々の劇場の改革を行います。
また市川團十郎が明治29年(1896)9月に出演、25日間大入り満員でそば札を大入り袋に入れて配ったのが、今日の大入袋の始まりと言われています。